最近、プライムビデオで映画を観ている。
毎日。
毎日。
といっても、今日で4日目かなw
でも、一日に2~3本は観てる。
家のことをさっと済ませて、堂々と残りの時間を映画鑑賞に費やしている、なんとも恵まれた環境。
私の、
『本が読みたい!!!』
という、年に数回爆発して起こる欲求が出たんだけど。
今、台風の影響で本をポチってもすぐは届かない。
ならば、島の書店で、とも思うが小説をほとんど見かけない。
図書館、、、は、コロナ陽性者が出てしばらく休館ということで、選択肢から外れた。
ならば、小説のようなものを観ればいいのでは?という発想になった。
ということで、興味を持った映画はとりあえずウォッチリストに入れていった。
今日は、朝からファイナルファンタジーの映画を観た。
仕事人間だったお父さんが、昇進を前に突然退職した。
子供とろくに関わることのなかった、不器用なお父さん。
そんなお父さんと、子供たちの関わりはぎこちなさがあった。
なぜ、お父さんは昇進を前に突然退職してきたのだろう。
家族は疑問を感じたが、詮索することなく【日常】を過ごす。
もっと、お父さんの考えてること、思ってることが知りたいと思った息子は、退職祝いと称して自身もやっているゲームをプレゼントした。
幼いころの記憶に、お父さんから買ってもらったゲームと同じ。
あの頃は、ファミコンでしていた。
大人になった息子は、パソコンでFFを楽しむ。
お父さんへは、プレステとともにFFソフトをプレゼントした。
お父さんは、ゲームを始めてみた。
すると、どんどんハマっていき、息子に少しずつ教えを請いながら上達していった。
お父さんにゲームを送ったのは、お父さんと会話がしたかったから。
でも、現実では話がまともにできない。
どう会話したらいいかわからない。
FFなら、キャラクター同志の会話として、なんでも話せるようになるのではないか。
そうやって、お父さんの知らないところで、息子はお父さんとの会話を楽しみ、お父さんという人間を理解していく。
はじめは、特にこれらのゲームに興味があるわけじゃないから、観るの間違えかな、とすら思った。
だけど、ゲームの世界は綺麗で普段の自分と違ったアバターを作り、現実世界で知り合うこともないひととつながる。
そういうのも、楽しさのひとつなのだろうと理解ができた。
現実世界で、知り合いにはできないような話だって、誰だか知らないひとにだから話せることもある。
お父さんと息子は、ゲームを通して現実世界でも会話が少しずつ増えた。
「ゲームを教えてくれ」
その一言で、距離が縮まる。
ある日、お父さんが倒れた。
その時、家族は初めて知ることになった。
お父さんの、突然の退職理由を。
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病気だった。
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倒れたこの日、お父さんは病院を抜け出し、ネカフェに入った。
パーティーの約束を果たすために。
どうしても、倒したかった。
みんなで戦った。
そして、お父さんはゆっくり話し始めた。
しばらくログインができなくなること、その理由。
そこで、息子は初めて自分が一番初めのフレンドだということを知らせた。
強敵を倒したお父さんは、息子との絆も深まり、
「病気くらい倒してくる。もっと手ごわい敵を倒したんだからな」
「なっ!!」
息子と二人にしかわからない会話をし、文字通り、命をかけた戦いに挑んだ。
現実世界、距離を縮めることに不器用なとき。
こういうやりとりもできるんだと、またひとつ世界を知った。
息子に好意を寄せる同僚。
彼女もまた、彼との距離を縮めたくて同じゲームという世界の扉を開いた。
ゲームは、単に彼らにとって距離を縮めるためのツールのひとつにすぎなかったのかもしれない。
お昼休憩に帰ってきたパパさんに、ファイナルファンタジーを知ってるか聞いた。
返事はもちろん、yes。
そりゃそうだよな。
それじゃぁ、したことはあるか?と聞いてみた。
そしたらこれも、yes。
だが、パパさんの場合はこういった類のゲームは途中で飽きてしまうそうだ。
今はもっぱら、ドラゴンボールのなんかよくわからんゲームばかり。
私も、ロールプレイングゲームというものは、あわないかもしれない。
めんどくさいから。
でも、、、でも、やってみたらハマることもあるのかもしれない。
先入観で物事を決めてはいけない。
何事も、ちょろっと味見をしてみないとわからないものだから。
今は、映画をたくさん観たいと思っている。
本も読みたいと思っている。
小説が好きだ。
小学生・中学生の頃は推理小説にハマっていた。
誰とも会話を交わすことなく、一人の好きなことに没頭できる時間というのはとても心地のいいものだった。
そう考えるとやはり、オンラインでつながる類のゲームは苦手かもしれないな。。。
ゲームが好きじゃなくても。
この映画は楽しめた。
ゲームの世界って、絵が美しいね。