オリンピックが開催されて、次々と選手方の頑張りによりメダル獲得がされていますね。
ずっと不思議に思っていたことがあります。
メダルを得たのは、頑張った選手なのに。
なぜ、【表敬訪問】と言うものをしないといけないんだろう。
ずっと疑問に感じていました。
市(町・村)長、都道府県知事、さらに上に行くと、総理やらなにやらお偉いさん。
この方々を、頑張った選手が
【メダルとりましたよ!ありがとうございます!!】と、訪問するのはどうかと、ずっと思っていました。
どちらかといえば、メダル獲得=国のため、という考えならば、お偉いさんがねぎらいの一言でも掛けに選手を訪ねるのが妥当なんじゃないかと。
それでいて、今さらに話題になっていますよね。
どこぞの市長さんが、選手のメダルを嬉しそうにがっつりと噛みつくあの事件。
私がもし、メダルを獲得した当事者だったら、
「なぜ、お前が噛む?」
「お前がなにを頑張った??」
「誰の了承を得て口に含んだ??しかも、今コロナがどうたらマスク必須とかゆーてんのに、お前なにしてくれとんねん」
て、はらわた煮えくりかえってると思ってる。
でもな。
報道の仕方にもよるんだけど、
次々と、
「実は私もそうされたことがあります」
「私も不愉快でした」
とかあとから時差つけて報道するのはどうかとも思う。
出すなら一気に出せ、とすら思うのである。
私は、いろいろ思うこともあるし、意見したいこともあったりするけど。
例えば、Aさん側寄りの意見を大きく持っていても、必ずBさん側の立場にも立って考えるようにしている。
それは、偏った見方をして、不公平な感情を抱きたくないから。
例えばさ。
彼氏や旦那と喧嘩して、自分的に相手が悪いと思ってたりするときあるでしょ?
そんなときも、自分の考えや思いは、こうだった。
と、思ってひとまず、横に置いておく。
ほんで、彼氏や旦那はどういう考え・思いがあったのかを考える。
すると、彼氏や旦那の非が大きかったとして、自分にも少なからず非があったことに気づくわけよ。
そうなると、一方的に責めすぎなくてよかった、とかも思うし。
もし、責めすぎてしまったあとでの気づきだとしても、そこから改めることができるわけ。
そうすると、なんだか自分も成長した気持ちになれるし。
なんだか、話がずれた気がするけど。
お偉いさん方が、メダルに噛みつくのは、ぜひとも辞めてほしい。
汚い。
その一言につきない。
だれが、おっさんにメダル噛んでもらって喜ぶと思ってんねん。
例えばよ?
自分が推してる憧れの人が噛んでくれるんだったら別だと思うのよ。
ようは、そーゆーことよ。
お前はお呼びでない!
以上!!
多分さ、市や国の上に立つ人たちっていうのは、自分が市民・国民から選ばれたありがたい存在という意識が少なからずあるんだよね。
だから、訪問してもらって当たり前、メダルだって自分が噛んであげたら喜ばれると思ってるんだ。
まったく、勘違いも甚だしい。
私は、凡人だけど。
でも、テレビを通じて選手の頑張りをみて、応援している。
それだけのちっぽけな存在だけど、頑張ってる選手たちを応援しているし、今まで全然なじみのないスポーツだったとしても、頑張ってるんだって背景をみてはうるうるしている。
頼むから、頑張った人の手柄をさも自分のおかげ、みたいにして持って行かないでくれ。
あとさ。
メダルを取ったひとだけが頑張ったわけじゃないんだよ。
おしくも、メダルまで届かなかったひとも頑張ったんだ。
そこをねぎらってくれ。
報道もな。
日本、〇〇に敗れ、××
とかいう見出しとか、最低すぎる。
悪意しか感じない。
報道するあんたらに、同じ舞台で頑張った選手たち以上のパフォーマンスができるのか?
いつもそう思う。
今回の女子サッカーでも、
「ますます、なでしこ離れ」
とか、平気で報道するけど。
2011年のワールドカップ優勝のときだけもてはやして、今全然なんも報道もしない。
なんなんだ。。
ただの余暇をつぶすためのお楽しみか?
報道のありかたひとつで、選手の人生も大きく左右される。
そこもふまえて誠実に取り組んでほしいところ。
報道の自由には、責任も伴うことを十分理解したうえでよろしく頼みます。
また少し、話がずれるかもだけど。
最近、プライムビデオで、小説家になる話の【響】ていう映画を観たんだ。
平手友梨奈さんの映画。
あれで、報道記者が未成年の小説家(受賞者)を執拗に追いかけて勝手に写真連写するシーンがあったんだけど。
あのシーンにはものすごく腹が立った。
主人公・響が、大事な人達を気づける人に暴力を働いてしまうんだけど。
それは、過剰な表現かもしれないけど、考えと言うか想いと言うか、気持ちがわかる。
そして、この執拗に連写した報道記者のあとをつけて家に乗り込んだ。
その記者の家には、小さい子供の写真が貼ってあった。
響きが、
「これ、息子さん?」
て少し詮索を始めた。
すると、記者は、
『子供は関係ないだろ!!』
と、逆上した。
「私だって、父さんと母さんの子供だ!!!!!」
響きがそう返すと、記者は黙り込んだ。
この話からなにが言いたいかと言うと。
自分や自分の家族は守ろうとする癖に、他人の子供や家族のことはどうだっていいという、報道社会。
この考えをどうにかしたらいいのに。
なにが、売れるため、視聴率のため、だ。
他人の不幸は蜜の味。
これが、人間の根底にあるんだな。
残念でならない。
外国の選手が、日本人のすばらしさを語った、とかネットニュースで見かけるけど。
大会スタッフや名もなき国民の対応が素晴らしかったとしても、報道する側が悪意たっぷりだから、素直に喜べない。
いいところばかり取り上げ、大きく報道する。
今や、若者はテレビよりネットから情報を得る方が多い。
そこを突いているのだろうな。
だけど。
うすっぺらい報道は、すぐ消えるんだ。
もっと、中身のある報道をしてくれ。
中身のある情報が知りたい。
タイトルから、だいぶ内容がそれたけど。
言いたいことは、とりあえず書けたかな。
誰かを徹底的に責めまくる報道は、幸せを生まないよ。
誰かの家庭を苦しめることになるんだから。