仕事とはいったいなんなのだろうか。
こんなことをいちいち考えている私は、めんどくさい。
だけど、考えずにはいられない。
私の中で、仕事とは生活に必要なお金を得るため・楽しみに使うお金のためという意識が薄い気がするのだ。
パパさんにふと、聞いてみた。
「仕事とは?」
と。
『お金を稼ぐため(の手段)』
と、かえってきた。
これは、これで正解なんだろう。
夫として、父親として、家族のために稼ぐという意識が強いからだ。
私は、そういう責任感というものがないから、きっとこんなに仕事とはなんなんだろうといちいち考えるのかもしれない。
私はこれまで、何年も同じ仕事に就いたという経験がない。
期間の決まってる仕事ばかり渡り歩いてきたから。
お金のために働くというより、そのときの自分のやりがいや楽しみのために働くという感じだから。
その時々で、自分の欲しいものがあるときに、巡り合えた仕事をし、手に入れるという流ればかり。
美容師免許を取得しても、美容師としての経験はない。
それを活かせる仕事はやってみた。
3年ほどだろうか。
とても楽しい日々だった。
体に限界を感じて、それも辞めてしまったけど。
また、副業としてやってみてもいいかな、とも思う。
でも、それもいつの話になるのだろうか。
去年10月から、スーパーのレジの仕事に就いたけど、正直定年まで働くという未来は見えなかった。
自分がそんなに他人にいい顔ばかりして過ごせるとも思えなかったし。
パパさんに、「外面いいよね」なんてよく言っては二人で笑ってたけど。
私の方がよっぽど外で仮面被ってるんだと思う。
(パパさんに言わせたら、まだまだ足元にも及ばないらしけど)
今、別の職場で事務職に就いたけど。
はっきり言って、今現在やりがいはない。
私の中で、仕事にやりがいが感じられないというのは、ものすごく大きい。
毎日、憂鬱になる。
やることがないって、どーゆーこと?
て、いつも思ってる。
なぜ、仕事もないのに、求人してたの?とさえ思う。
でも、忙しいときは忙しいんだって。
じゃない日が、割と多め、ということなんだと事務の先輩が言っていた。
フルタイム勤務じゃなくて、短時間パートになるべきだったか。
週5のフルじゃなくて、週3にするべきだったか。
常に考えてる。
今でも、
(私はこの職場に必要ないんじゃないの?だったら、無理して時間をここで過ごさなくていいんじゃないの?)
て、卑屈になってる。
仕事は、自分で見つけてやるもの。
そう、わかってはいるけど。
まだまだ、この職場の仕事がわからないんだからしょうがない。
もしかしたら、仕事のほとんどを見せてくれてるのかもしれないけど、それにしたって、少なすぎる。
仕事はあったら嬉しいけど、唯一やらなくていいんじゃないの?と思う仕事がある。
お茶くみだ。
お茶やコーヒーなんて、欲しい人が自分で淹れたらよくない?
目上の人に対して出すのは、我慢しよう。
そして、新参者だから、そこの体制についてとやかく言うのは、もうやめにしよう。
必要なこと、じゃないことを明確にしたがる癖は、もうどこかに放り投げられたらいいのに。
私って、ほんとつくづく会社に属するのが向いていないんだ。
そーゆー星の元に生まれてるんだってさ。
自分で仕事をするほうが向いてるんだって。
だから、美容の仕事を自分でやってたときはあんなに楽しかったのかもね。
もちろん、大変なこともあったけど。
自分の必要な金額分稼げればいいし、自分の生活ペースやほかのやりたいことへの配分、体調に合わせての仕事ペースとかさ。
全部自分が組み立てられたんだもんね。
今更ながら、また挑戦してみたくなるよね。
ひとは、ないものをねだる傾向にある。
そして、自分の好きを仕事としてキラキラしてる友人を見ると、それを心底羨ましく感じる。
隣の芝は青く見えるものだ。
今の職場の分野は、元々興味はあった。
どちらかというと、部署的にはちょっと違ってもうひとつ、ふたつのところに関わりたいと思ってるけど。
あちらの事務補助的に回れると、うれしいかな~。
そして、現場も同行できると楽しいのかな~。
現場に関しては、もう少し体調を見て、か。
とりあえず、また診てもらって心配事がなくなれば、かな。
私は、とにかく、やりがいがほしい。
暇な時間ももちろんほしいけどね。
バランスが大事だよね。
働かずして、給料をもらうなんて。
申し訳なさすぎる。
気が滅入るわ。
私って、めんどくさいことに、案外まじめな人間みたいだわ。
意外だわ。