子宮筋腫・子宮全摘術の記録をまだ完成させていないけど…
3/20、退院。
島にて安静に過ごす日々。
3/27頃から何だか少しお腹痛む。
3/28、3/29は痛み止めを飲む。
なんか、生理痛のような痛み。
3/29、23時すぎ。
そろそろ寝ようと、トイレに行く。
そこで、事件。
出血している。。
どんどん出て来る。
コアグラと呼ばれる、レバーのでかいバージョンみたいなものも数回出た。
出血はおしっこするかのように、出てくる。
30分程トイレから離れられない。
心配で見に来た息子。ママの出血見て、一大事と悟る。
手術を受けた病院に、状況説明して指示を仰ぐ。
指示通り、島の病院に電話して受診した。
緊急入院となる。
このとき、日付は変わり3/30。
3/30、何事もなく終わる。
排便時に、腹圧がかかると危ないと言うことで、絶食となる。
3/31
午後。
出血が始まる。
まだまだ出ると感じ、ベッド足下に置かれたポータブルトイレに座る。(看護師さんに、出血まだありそうだから座ります、と伝えた)
それから、コアグラと呼ばれる塊や出血がどんどん出てくる。
その間、看護師は見に来てくれない。
この間、1時間と少し。
いよいよ、自分の命が危ないと思い、ポータブルから遠く離れたナースコールを必死に掴み取り、
『出血がすごいんですけど…』
と、力無くコール。
見に来た看護師さん、顔色変わる。
この日、島には島外から婦人科の先生が来ていた。
私の受診は、外来患者さんが終わったあとの予定だった。
だがしかし。緊急事態ということで、私から先に受診させてもらうことになった。
診察台の上に乗り、先生が診始めると、、、
『ジャー!』ていう音を立ててコアグラと共に大量出血。
これには先生も看護師さんも大慌て。
その診察時点で1リットルは出てるだろうということで、先ほどのポータブルでの出血と合わせて命が危なくなった。
手術を受けた病院へと搬送が決定。
人生初の自衛隊ヘリに乗せていただき、搬送された。
3/31、沖縄の病院に到着し、検査を受け、22時から手術が執り行われた。
この手術で、私は本気の【死ぬかも】という感情が湧き上がった。
最高血圧60、吐き気、暑さ、尋常じゃない発汗。
そんな中淡々と手術は行われた。
そう、カテーテルを通しての手術だったので局所麻酔で、意識はあるのでした。
無事手術は終わり、ICUへと。
4/1、何時ごろかわからないけど午前中に婦人科病棟へ移った。
驚くのはここから。
なんと、その日のお昼から常食開始である。
30日から絶食していたので、久々の食事。
ゆっくりゆっくり食べた。
半分も食べれなかったけど、生きてるって実感できた。
4/2、朝歩行開始。
歩行確認し、尿管を取る。
血栓防止ストッキングを脱ぐ。
午後、シャワー浴する。
あっというまに、人間になれた。
生きてる。
4/3、朝方から熱。一旦下がるも、午後からまた熱。
16時半に予約していたシャワーは許可がおりなかった。
そこから、検査検査で、今に至る。
大量出血したのに。
貧血なのに。
たくさん、採血だと血を採られ…
あ。
私。今回輸血を受けました。
点滴と違って、輸血ってなんとなく怖かったです。
では、一旦これにて。