小説が読みたくて、kindleアプリをインストールしなおした。
そして、【余命10年】という小説に出会った。
治療法の確立されていない、発症から10年以上生きれた人がいないという、難病。
そんな病気に、ある日突然自分が侵されてしまったら?
私の母は、発症からの平均寿命が8年と言われる難病に侵され、宣告されてたったの2年で亡くなった。
母が、それだけ大変な病気になったというのに、私はどこかで、
「あと8年。この8年の間で少しでもお母さんと時間を共有したい」
そんな風に、どこかのんびりとした気持ちを持っていた。
だけど、8年という時間すら与えてもらえなかった。
たったの2年で亡くなったんだから。
病気が分かったときの母は、いつも絶望感をまとっていた。
母のいとこに街中で声をかけて、自分の病気を報告するときも、
「私、あと8年のうちに死ぬ病気になっちゃったよ」。。。。
なんて応えたらいいのかわからない、そんな困った報告をしていた。
余命10年を宣告された主人公。
彼女は、当時二十歳。
あまりにも早い、残酷な病の訪れだった。
彼女はこれまで、当然のように明日は来ると信じて生きていた。
だらだらと、その日その時が楽しければいいと。
けれど、病気になり症状が悪化し、2年間もの入院生活を経験したことによって、明日は当然のようにはやってこない、大切に過ごさなきゃ。
そう、思い直した。
でも、その反面、諦めたこともたくさんあった。
体のことを考えて、仕事をすることも禁止され、働くことも経験していない。
そんな諦めばかりの中、かつての友達に誘われ、オタクの世界の扉を開いた。
元々好きで見ていたアニメもあったし。
絵が上手だったことも、手先が器用だったことも、すべてがその世界で活かせる。
彼女は、コスプレ衣装も作るようになったし、同人誌制作もするようになる。
そして、趣味に没頭していき、生きる楽しさ・よろこびを感じるようになる。
オタクって、根暗だとか、世界感が独特だとかいろいろどちらかというと、マイナスイメージ的に言われるところがある。
でも。
オタクって、好きを極める人、突き進む人のことを言うんだと思う。
そういった点でいえば、私は全然オタクになれない。
どれも、興味があって手を出してみてはある程度こなし、ある程度こなせたことによって、興味を失ってしまう。
ミシン作業が好きなのも、人並み程度には制作できるようになって熱意が続かない。
ビーズ刺繍もそう。
すぐ、思っていたものが完成してもう針を持つこともなくなった。
私もオタクになりたい。
なにか打ち込めるものがほしい。
コンテナショップをオープンさせるために、頑張っていたあの日々は優しい顔をした周りのひとたちの遠慮のない言葉によって、後悔の塊になってしまった。
私がオープンさせることは、望まれていないんだな。
そう、痛感した。
そうなると、さらにミシンとの距離感は広がるわけで。
否応なしに、
「縫わないの?コンテナ使わないの?」
と声をかけてくるパパ。
あ、こんなにも身近にまで優しい顔をした悪魔がいるんだ、、、
そう思った。
もし。
もし、今の私が余命10年と言われたら。
「その余命はもっと短くできませんか?」
と、聞き返すかもしれない。
私にばかりきつくあたる父。
優しい顔をした、友人の仮面をかぶった悪魔。
普段優しいのに、時々一番触れてほしくないとこに屈託のない笑顔でグサリと突き刺してくるパパ。
私のやりたいことはいつも、勝手に、やらないといけないこと、に押し上げられてしまう。
私がやりたいことなのに、なぜ、私以外の誰かのためにやらなくてはならないのだろう。
それが、ずっとずっと心の奥底でくすぶっている。
どんなに、外で笑顔を見せていたとしても。
どんなに家族の前で笑っていても。
一人きりの時間になると、落ち込んでしまう。
私という存在は、あるようで存在していないんだと。
ひとは、ひとが思うより、他人のことなんか見ていない。
だけど、それなのになぜ私の気持ちは誰かからの義務へとすり替えられてしまうのだろう。
余命宣告8年から、たった2年で亡くなった母には申し訳ないけど。
私も、はやいとこラクになりたいです。
できれば、突然死がいいな。
病気になって、長く家族の迷惑になりたくないし。
私に使うお金があったら、家族で楽しく使ってほしいし。
私がひきこもった生活をしていると、
「いい身分だね」
「旦那は働いてるのに、自分は働かないんだね」
って、言う人ちょこちょこいる。
その事実によって、あなた方になにか迷惑をかけたのだろうか?
旦那はそれでいいと言ってくれるし。
ずっと働かないわけでもない。
年に80万くらいは稼いでる。
これだけ普段引きこもっていても、それだけ年に稼げてればまだよくないですか?
昨日読み始めて、今日昼過ぎに読み終わった。
作者は、この本の刊行前に亡くなられたそうです。
きっと、自分の気持ちもそこに載せていたのかもしれない。
そう思ったとき、また泣いた。
人は、死期を選べない。